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上田桃子がツアー撤退~ラストスパートで悲願のメジャーに届くか –雑草リモートゴルファーの徒然日記Round 157

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ツアー17勝のベテラン・上田桃子選手(38)がツアー撤退を表明しました。21歳で賞金女王に輝き、米ツアーに挑戦。38歳となった今も男前なドローボールは健在で、平均飛距離245㍎を維持しています。来年のシードも確実にしながら、プロ20年目の決断の背景には何があったのでしょうか?

伊藤園レディスの公式会見が7日、千葉県長南町のグレートアイランド倶楽部で行われ、すでに自らのインスタで「次のステップに移る」とツアー撤退を表明していた上田選手は、清々しい表情で自らの心情を語りました。

「次の人生に移るのは、年齢を含めて今かなぁと。30歳を過ぎた頃から毎年、シーズンを通して心技体が保てるかを、いつも考えていた。最終的に決断したのは、今年の日本女子オープンが終わってから。公式競技3試合を戦い、勝てなかったと振り返って」(JLPGAのHPより)

多くの女子プロのピークは、20歳代中盤にやってきます。それを不断のトレーニングと精神力で米ツアーと日本を往復しながら、気がつけばもう、38歳。それでも飛距離は落ちることなく、ショットのキレも健在。彼女のモチベーションのひとつがメジャータイトルだったのでしょう。今や日本人女性が世界のメジャータイトル争いの常連になる時代。コツコツと築き上げた17勝に、日本の、いや、世界のメジャータイトルがひとつでもあれば、ツアー撤退の決断はもう少し早かったかもしれません。

「人生は長い。ゴルフだけが人生というものにはしたくはなかった」と上田選手は言い切りました。長い人生の中で、極めたと思えるものが一つでもあれば、それがゴルフなら、本当に幸せだと思います。次のステップについて、向上心の固まりの上田選手は「まだ決めていない。まずは勉強をしたい」と語りました。

上田選手が2005年にプロになり、最初のシーズンに入った2006年。契約先のキャロウェイゴルフが、石岡GCでイベントを行いました。あるホールのティーグラウンドで、上田選手が待っていて、「上田選手にドライバーで挑戦」といったアトラクションでした。キリッとした表情でアドレスに入ると、当時から力強いドローボールで250㍎飛ばしていました。プロテスト合格後の12月に新人戦加賀電子カップで優勝しており、キャロウエイの広報担当者が「期待の新人です」と紹介すると、「応援よろしくお願いします」とハキハキと話していたのを覚えています。

上田選手がブレークした2007年。ツアー参戦2年目で5勝を挙げ賞金女王となったシーズンですが、2勝目を挙げた6月のリゾートトラストレディスの最終日が記憶にあります。単独首位の上田に、2週連続優勝を狙う不動、そして横峯さくらという最終組。横峯は早くから脱落し、不動が中盤で上田を逆転しましたが、上田が最終18番のバーディーで逆転。プレーオフ1ホール目で、不動の3打目がディボット跡にあり、ボギーの不動を上田がパーで優勝しました。そして翌月のスタンレーレディスでは、2アンダーで並んだ有村智恵と横峯をプレーオフで下しての3勝目。勢いと勝負強さを見せつけました。

まさにイケイケどんどん。ミズノクラシックに優勝して2008年から米ツアーに参加。順風満帆なゴルフ人生でしたが、米国本土では思うような結果は残せませんでした。先に参戦していた宮里藍の活躍に隠れていた印象です。

インスタで「残りの数試合。最後まで私らしく駆け抜けます!」と力強く語った上田選手。今週の伊藤園か次週のエリエールで勝てば、最終戦のツアーチャンピオンシップに出場できます。ツアー撤退表明し、最後の試合でメジャー優勝という奇跡のシナリオが現実のものとなるのか。上田選手の美しいドローボールを目に焼き付けたい。

時田 弘光

~No Golf No Life~
以前は真剣に競技ライフを送ってきた雑草勤め人ゴルファー。現在はおひとりさまゴルフなどで、自堕落でゆるいラウンドを楽しんでいます。全盛期は7000㍎級のコースでクラチャンになったこともありますが、今はドライバーで200㍎の壁と戦っています。


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